高野山奥の院参道 [神社仏閣]
7月22日花園あじさい園に行った帰り道、高野龍神スカイラインを走りましたので宗教都市高野町高野山を経由します。折角高野山を通るのにお参りしなければと時間が無かったのですが少しの時間を割いて奥の院にお参りしてきました。
中の橋駐車場に車を止め奥の院に向かって裏参道を歩くこと約30分、巨大杉に囲まれた石畳の表参道と両側の墓石を横目で眺めながらの駆け足のお参りになりました。
それにしても表裏参道の両側にある墓石の多いこと、20万基とも30万基とも言われていますが数えた人が無いそうです。さらに杉の大木、樹高が40m以上もあるそうで、その中から種や穂を採るため適した木を選定し農林水産大臣が特別母樹林として指定するとともに和歌山県の天然記念物にもなっています。
また、墓所に鳥居の建っているものを見かけます。これは明治元年政府から出された神仏分離令までの神仏習合の名残りだそうです。今 目の前の墓石に鳥居が建っているのを見るとちょっと異様に写りますよね。
この日は時間が無かったので1.6Km ある表参道の極一部だけのご紹介ですが、敵味方なく沢山の戦国武将や有名人などのお墓を尋ねる機会を出来ればつくってみたいと常々思っているのですが余りにも広大であるとともに数ある戦国武将や皇族 貴族 有名人のお墓を尋ねるにはかなりの日時がかかると考えられ今まで実現していませんし今後も予測がつきません。
中の橋駐車場に車を止め奥の院に向かって裏参道を歩くこと約30分、巨大杉に囲まれた石畳の表参道と両側の墓石を横目で眺めながらの駆け足のお参りになりました。
それにしても表裏参道の両側にある墓石の多いこと、20万基とも30万基とも言われていますが数えた人が無いそうです。さらに杉の大木、樹高が40m以上もあるそうで、その中から種や穂を採るため適した木を選定し農林水産大臣が特別母樹林として指定するとともに和歌山県の天然記念物にもなっています。
また、墓所に鳥居の建っているものを見かけます。これは明治元年政府から出された神仏分離令までの神仏習合の名残りだそうです。今 目の前の墓石に鳥居が建っているのを見るとちょっと異様に写りますよね。
この日は時間が無かったので1.6Km ある表参道の極一部だけのご紹介ですが、敵味方なく沢山の戦国武将や有名人などのお墓を尋ねる機会を出来ればつくってみたいと常々思っているのですが余りにも広大であるとともに数ある戦国武将や皇族 貴族 有名人のお墓を尋ねるにはかなりの日時がかかると考えられ今まで実現していませんし今後も予測がつきません。
[注] : 奥の院の御廟橋より先は弘法大師御廟エリアで撮影飲食などは禁止で写真はありません。

↑ 中の橋駐車場からの裏参道

↑ 裏参道周辺は比較的新しい墓所群

↑ 一の橋から奥の院まで1.6kmの表参道に途中から合流します

↑ 表参道沿いの大杉と墓石群

↑ 特別母樹林に指定された樹木の標識

↑ 結城秀康 (家康次男) 石廊には鳥居が

↑ 肥前島原 松平家墓所

↑ 駐車場近くまで帰ってくると燈篭に明かりが